僕の人生の道標。

過去どう生きて、これからどう生きるかとか、そんな内容。

出口調査のアルバイトでアンケートを断られまくって、色々と考えた話

先日、柄にもなくアンケートを取るアルバイト、すなわち出口調査員の仕事をした。

 

「柄にもなく」というのは、実は自分はあまり人と接するのが得意ではない。
そんな気持ちが前々からあったから。
なんで応募したのか忘れてしまったが、
まあ面白そうだったから飛びついた、というのが正直なところだったと思う。

 

色々と守秘義務があるらしいので詳しい内容は伏せつつ、出口調査アルバイトの概要を説明したい。

 

このアルバイトでは、朝から午後の間で、3時間ごとのタームを2セット行い街頭でアンケートを実施する。
アンケートの枚数にはノルマが設定されている。
時間内にそのノルマに到達できない場合は残業が発生する。

 

このような感じ。

 

街頭アンケートの選挙版、とでも考えていただければと思う。

 

で、早朝に現地に到着し早速声掛けを開始。

ところが…

多くの人はアンケートに協力してくれない

投票を終えた人たちは、

全然、

本当に全然。

アンケートに協力してくれなかった。


ひたすらに声をかけても、早足で逃げる人、無視する人。
なんと説教する人などもいた。

 

数を稼ごうとおもって手当たり次第声を掛けるも何度も撃沈。

 

考えると、時間内にノルマを達成するためにはノルマ以上の人数に話しかける必要がある。
話しかけても、アンケートの協力を断られる可能性があるから。

 

ただ、まさかここまで断られるものとは思っていなかった。
大体6割の人に断られ続けている。

 

正直心の何処かで、「みんな絶対に協力してくれる」という甘い考えがあったのだと思う。
でも、そんなことは当然ありえないという事実にぶち当たった。

 

例えば、街頭でやってるティッシュ配り。

 

あなたは毎回律儀に取っているだろうか。
ちなみに僕は毎回は取っていない。

 

ティッシュは貰う人間にとって多少は価値のあるものだ。
でもこの出口調査はどうだ?

 

協力する人に与える価値は何もないじゃないか。
もしかすると出口調査はティッシュ配りよりも難しいのではないか?


そんなこんなで結局、1回目のターム(3時間)では設定されたノルマの半分にも満たない数しか集められなかった。
まさしく絶望。
こんなに難しいものなのか。


手がまともに動かないほどの寒さの中で残業をしながら、
「アンケートに協力してくれるにはどうすればいいのか?」
というところに思考が及んだ。

 

次のタームも残業するなんていうのはまっぴらごめんだ。
そんな気持ちからそんなことを考えたんだと思う。


さて、アンケートに協力をしてくれないとはすなわち、
「アンケートを書くことを拒否する」ということ。
しかし一体全体、なぜ拒否されるんだろう?

 

寒々しい風が吹く公園のベンチでお昼ご飯を食べながら今まで拒否してきた人たちの反応を振り返る、


するとどうも、その「拒否の仕方」にパターンがあることに気がついた。

  1. 全く眼を合わせず、話も聞いてくれない人
  2. 話を聞いてはくれるが、アンケートを書いてくれない人

この2通りのパターンに分かれていた。


この人達が拒否をした理由は、それぞれ性質が異なるように感じた。
断られたタイミングに段階があるような気がした、という方が正しいかもしれない。

 

もしかすると、
「選挙を終えた人が、自分に気がついてアンケートを書いてくれるまで」には何段階かの思考プロセスがあるのではないか?
ということを考え始めた。

人がアンケートを書いてくれるまでの3つのステップ

もし自分がアンケートを書かされる立場になったら。


まず、選挙を終えて出口から出てきた自分は、アンケートをしている人間がいることに気がつく必要がある。
誰もいなかったらそのまま家に帰るだろう。

つまりこの場合、その対象に「注意」を向ける、と言い換えられるだろう。

 

そしてその人に注意を引きつけられた自分は、立ち止まり、その人の話を聞くか聞かないかの選択をする。
その話を最後まで聞いて、初対面のこの人が話す内容を信じるかどうか?その判断を一旦するだろう。
ここで信じるという判断を下せば、僕は彼の話を一応「信用」したことになる

 

最後に、アンケートを書くか書かないか?
これを選択する。

書けば、僕は彼に「協力」してくれたことになる。


上記のプロセスをまとめると、

「注意」→「信用」→「協力」

人は、意識する・しないにかかわらずこのような思考プロセスを経て判断を下しているのではないか?


もしこれが事実ならば僕は、上記全てのステップを「Yes」にする必要がある。
じゃあ、具体的には何をすれば各ステップに対してYesを引き出せるのか。

 

そんなことを考えている内に、次のタームが迫ってきていた。
とにかく、考えつくことを実践しながら効果的な行動を探ろうと思った。

 

一人に対して話しかけるのに使える時間は精々10秒程度。
それ以上こちらから話し続けることは難しい。

 

ある意味、エレベータートークの練習だと思って色々試してみることにした。

「エレベータ・トーク」とは、エレベータに居合わせている30秒程度の間に自分の話(報告事項・アイディア等)を簡潔に伝えることをいう。

エレベータ・トークとは - 人材マネジメント用語 Weblio辞書

 「注意」を向ける…「あなた」に話しかけていると思わせる

声を掛けても何故か無視される。
そのようなパターンが非常に多かった。

なぜこちらを見向きもしないのかを考えていたが、

「実は、相手は話しかけられていることに気づいていないのではないか?」

と考えた。


そういえば、今まで自分は出てきた人を後ろから追いかける形で話しかけていた。


そこで、出てくる人の正面に立ち、そして目を見ながら話しかけた。

「こんにちは。」

すると、多くの人が立ち止まってくれた。
(立ち止まれば、ほぼ100%で話まで聞いてくれた。)

どうやらこうすることで「自分が話しかけられている」と思ってくれたようだ。
こうしてまずは注意を向けることに成功した。

「信用」を得る…立場・目的・行動を明確にする

立ち止まってくれた人に対して、説明を開始する。

しかし、ただ

「これ、書いて下さい。」

と言ってアンケート用紙を突き出しても、書いてくれる人はいない。

 

大体、

  • これは何なのか
  • コイツ誰なの?
  • 何で俺が書くの?
  • 何を書けばいいの?
  • 何の目的で?

=「怪しい」

 

そんな思考が相手の頭に浮かぶことだろう。

というわけで、これらの疑問の答えを先出しすることで信用を得る必要がある。
そのために以下のことをした。


①自分の立場を明確にする

信用を獲得するためには、自分のバックグラウンドを示す必要がある。

「○○社の(名前)です」

と先に言わなければ怪しまれる。

不思議なもので、ただこの一言を言うだけで(腕章はつけているが)多くの人は信用する。
「証拠を見せろ」と言われたのは100人以上に声を掛けた内のたった1人だけだった。


②行為の目的を明確にする

出口調査にご協力下さい」

と言えば、大体の人はその目的を理解してくれる。
出口調査という名前は知れ渡っているというのが大きい。

何のことか分からなければ「選挙報道で当確を出すために利用します」と言うことにしていた。


③相手の次の行動を明確にする

「こちらのアンケート用紙をご記入下さい」

と言うと、言われた側は次にすべき行動が明確になる。
これを言わないと、「で、私は何をすればいいの?」と言われてしまう(言われた。)


ここまでの3つを徹底しただけで、即行動に移してくれる人はいた。


しかし、これだけではまだ断られた。

信用しても、実際に協力するかどうかはやはりまた別の問題のようだった。

 

「協力」を得る…社会的証明と理由付け

立ち止まってくれた。
話も聞いてくれた。

でも協力してくれない。

そのようなパターンが依然としてネックになっていた。
協力まで行かなければ、ノルマは達成できない。

そして、その人達が協力を断った際の文句が
「忙しいので…」
だった。

失礼かもしれないが、断言させてもらうと
日曜日、たった数十秒で終わるアンケートに対して忙しいという理由は通らない。
単に協力するのが面倒くさいので忙しいと断っているだけだ。

それが理由に、
「数十秒で終わります」
と食い下がっても殆どの人が早足で去っていった。

本当に数十秒を惜しむ人間が多大な時間を使って投票に来るとは思えない。

「忙しいので」

と言われたら最後。

最後の最後にYesと言わせたい。
そのような一言は何かと考えていた。


するとふと、昔読んだ本のエピソードを思い出した。
「影響力の武器」という本だ。

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

 

 

その中に、こんなエピソードが紹介されていた。

コピー機を使用している人になんと言えばコピー機を貸してくれるのか。
その実験の話だ。

最初は「すみません、コピーを先に取らせて下さい。」と言ってみる。
この場合、順番を譲ってくれたのは60%の人に留まった。約半数だ。

次に、「すみません、コピーを先に取らせて下さい急いでいるので」と理由を付け足す。
すると多くの人(94%)が貸してくれるようになった。

最後に、「すみません、コピーを先に取らせて下さいコピーを取りたいので」と言う。
これでも多くの人(93%)がコピー機を貸してくれた。

お気付きとは思うが、最後の発言の後半部は理由になっていない。
「コピーを取りたいのでコピー機を貸して欲しい」というのは論理が通っていない。
でも人は、「~ので」という最後のこの一語にのみ反応してついコピー機を貸してしまう。

これが本書で紹介されている「お願い+理由」という、Yesを引き出すテクニック。


…これを今回の出口調査に応用するとすれば、
「~ので」と最後に付け足すことによって、アンケートに協力する理由を作る。


問題なのは「~」の部分だが、これは同じく「影響力の武器」の中でも紹介されている
「社会的証明」
を用いることにした。

簡単にいえば、「皆さん協力してくださっている」と言うこと。
「自分以外の人間がやっている=自分もやらねばならない」という心理。
日本人は特にこの他人の行動に影響されやすい。


そこで
「皆さん書いてくださってますので。」
という一言を最後に付け加えてみた。


すると、信じられないくらい多くの人が協力してくれるようになった。
アンケートに答えてくれる人の割合は実に9割まで向上した

このたった一言を付け加えるだけで多くの協力が得られるという事実。
Yesを引き出す言葉の力を思い知った。


多くの人が自分の言葉で足を止め、そして協力してくれた。
それがなんとも言えず楽しく、出口調査の後半戦は終始気持ちよかった。
色々試行錯誤して解のようなものを出すことは面白いと思った。

 

結局、以上のことを行うことで午後のノルマを時間内に達成することが出来た。

 

対人関係を良好にすることは大事だと改めて思った

今回のアルバイトでは「人間関係は、相手がどう思うかを考えることから始まる」ということを学んだ。

実は、最近改めて気づいたことがある。

対人関係は人生でかなり重要だということ。

 

仕事においても人間関係は欠かせない。
もちろん、私生活においても。

このエントリーの最初に僕は、「自分は人と接するのが得意ではない」と書いた。

 

しかし、人と人との繋がりを切り離して人生を生きられるものではないと思う。

 

今回はYesを言わせるというただその一点突破で、方法を考えた。
ここまで考えたのは、ノルマを達成しなければならないという状況がそうさせた面が大きい。

 

でも人間関係というのは結局のところ「相手がどう思うのかを理解しようとする」ことだと思う。
その考え方は、今回のアルバイトでもなんら変わることはなかった。

 

Yesを引き出すにしても、良好な関係を築くのも。
本質的な部分は変わらない。


長々と書いてきたが、色々と学びの大きいアルバイトだったと感じた。
たった9時間の出来事だったけれども、こういう経験を多くしていきたいと改めて感じる出来事だった。

 

ちなみに、先に紹介した影響力の武器はおすすめの本だ。

Yesを引き出す必要のある全ての人が読むべき本であると思う。

(ちょっと分厚いけど)

 

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

 

 

それでは、また次回。

お酒が飲めなくて損したこと、そして、得したこと。

今でも思い出すことがある。

僕のお酒との、ファーストコンタクトのこと。


近所のお祭りの時実家にやって来たオッサン。
「ほれ、水だから飲んでごらん」なんて言って僕を呼び寄せる。

その当時幼稚園児とかだった僕は当然その言い分を信じて飲む。
「ゴクッ」
瞬間、違和感を覚える。
で、当然のごとく吐く。

それは水でも何でも無く、日本酒なわけだ。
しょーーーもない騙しだ。

それ以降そのオッサンとは口も聞かなかった…
というのはどうでもいい話か。

その当時僕は「オトナはこんなまずい飲み物をどうして飲むのだろう。」と不思議に思った。



そして僕は今でも、そう思っている。

大人になれば、オトナの気持ちを自動的に理解できるものと思っていた。
でも、どうもそうではなかったようだ。

僕も、もう今年で26歳になるのだが。

 

そういうわけで、僕はお酒が飲めない。


量で言えば、ビールはコップ一杯で頭がガンガンする。
で、顔がすぐ赤くなる。

日本酒や焼酎、ウイスキー、ワインはそもそも美味しくないし飲まない。
カクテルだったらまあイケる。
そのレベル。


そういう体質だと、人からよく言われる。
「お酒の飲めない人生、それって損してる」と。


そうかもね、とも思う。

でも、ふと思った。
「お酒が飲めなくて損したことはあるけど、得したこともあるんじゃないかなあ。」
と。


そんなわけで考えてみた。

お酒飲めなくて損したこと。

「酔って気持ちよくなる」という感覚が理解不能。

どうも飲める人というのはいいお酒を飲むといい気持ちになるらしい。

これが分からない。

フワフワした感覚になる…とからしい。
僕は全然なったことがない。

人間というのは経験の積み重ねで成り立っている。
この感覚の経験が出来ないのは、損といえるかもしれないなあ。

先述の「損してるね」といった人は恐らくこのことを指してたんじゃないかと思う。

 

「飲みニュケーション」が出来ない。

上司や同僚とお酒で深い仲になる…というのは無理だ。
「飲んで語る」系の人とは付き合えない。

「飲んで仲良くなる位なら普通に話して仲良くなれよ。」と考えてしまうが
どうもこの飲みニュケーションというのは万国共通のコミュニケーション方法らしい。

海外(特にロシア)ではアホほど酒の強い人からアホほど飲まされるらしい。
聞いただけでも身震いが止まらない。

 

損をすること、こんな感じだろうか?


じゃあ得したことなんてあったのか?
考えてみる。


お酒飲めなくて得したこと。

お金・時間共に余計な出費がない。

これは学生にとっては大きなことかもしれない。

1回の飲み会で大体4000円程度取られる。
そのお金を、自分が考える有意義なことに回せる。

例えば本を買うとか、欲しい服を買うとか。


そして同時に、自分のために使える時間も増える。

無駄に飲み会行くくらいなら自己投資したほうが将来的にはいいのかも。
そんな気持ちで他の勉強やらに時間を使うことも出来る。

自己投資というのは結構重要な考えだと思う。

今、月に5冊本を読む人はかなり少ないらしい。

そんな中で月20冊とか読めれば、かなり差をつけることが出来る。

そして、自分自身の価値観構築にも繋がる。


で、次は僕が最も得をしていると思うこと。


お酒という逃げ道を作れない。

見たところ、多くの人がお酒を「逃避」や「捌け口」に使っている印象がある。
上司に対して直接言えないような愚痴をこぼしたり。
気に食わない同期への不満を漏らしたり。


で、酔うと気持ちよくなるので何か解決した気分になる。

でも何も解決していないので結局は同じことの繰り返しになる。

 

負のルーチン。
これをしたくとも出来ないということ。

 

こういう、はっきり言って非生産的なこと。

これが出来ないのが自分の中でいい方向に作用している気がしている。


お酒という逃げ道を作れなかった自分は、悩みや問題を自分の中で解決しようと努力した。
というかそうするしかなかった。(あるいはそう思い込んでいたのかも。)

 

このことが、今の僕の、現実的な思考を作り上げたといえると思う。


直視するしかない現実をありのままに捉え、どうすればいいのかを真っ向から考える。
愚痴とか、文句とか、そういう非生産的で無駄なことに思考を使わない。
そんな生き方は凄く素敵で健全だと思うし、このまま続けていっていいと思ってる。

これがお酒飲めなくて得した一番のことだと思ってる。


お酒飲めないと社会でやっていけない、みたいに言われることも多々ある。
でも飲めなくてもやっていけると信じてる。

っていうか人生そんなことで決まんないでしょ!

 

お酒飲めない人、僕の同士です。
お酒飲める人、ほどほどに。

 


それでは、また。

多すぎる情報よりも確固たる価値観を持ちたい。

言うまでもなく、この世の中は情報が氾濫している。

 

例えば、『あの言葉の意味なんだっけな…?』

とか思えば、すぐさまgoogleで検索する。

 

すると、目の前のモニターにその答えが表示される。

 

いかにも簡単だ。

恐らく早ければ10秒もかからない。

 

こんな世界に生きていると、どうも

「自分は全ての答えを握っている」

というような錯覚を覚えてしまうことが多々ある。

 

このブログは一応、自分の生きる意味を自答する趣旨で書いている。

なのでここで自分に問いてみたい。

 

数多くの「答え」を握って悦に浸る自分。

さて、それで果たして自分の人生はより良いものになっているだろうか。

そして最良の人生を歩んでいると断言できるだろうか。

 

僕は断言できない。

この眼の前の箱が、僕にもたらしたものは何かあったっけ?

 

「人生というのは選択の連続である」

この話はそこかしこでされている。

 

全くの真理であるように思う。

選択とは、どれかを選ぶという行為。

人は何かを選ぶたび、何かを捨てねばならない。

 

今まで何を捨ててきただろう。

ちょっと自分の記憶をたどってみる。

 

例えば、中学受験とかはどうだっただろう。

あのときの自分はゲームに夢中で、勉強なんかほとんどしなかった。

(まあ、今でもそう変わらないな…)

 

じゃああのときもし勉強に打ち込むという選択をしたとして。

受験に成功していたら。

まあ、全然違った人生だったんだろうなあとはぼんやり思う。

 

過去の選択肢は結構冷静に振り返れる。

では未来に関しては?

 

どんな選択肢を選んでも、正確に先は見通せない。

これから何が起こるのか、明日にならないと分からない。

 

不安になってしまう。

『僕はどの道を進むべきなのか?』

 

だから、拠り所が欲しくなる。

自分は合っているのか。

このままでいいのか悪いのか。

 

大抵そういう流れで情報を取りに行く。

色々検索をして、いっぱい情報を取ってきた。

「答え」をいっぱい持っている状態だ。

 

すると、また新たな問題が発生する。

「いったいどの答えが最も良いんだ??」

「この答えは果たして本当なのか?」

とか。

 

おかしい。

 

僕は答えが知りたかったはず。

そのために。

いっぱい「答え」らしきものを眼の前の箱から集めた。

 

ところが、その答えたちからまた新たな問題が生まれた。

仕方がないのでその問題に対してまた「答え」を集める。

 

もうこのループから抜け出せない。

結局のところ、得られたものをうまく使えてないんじゃないか。

 

人生にとってのgoogle検索は、そこまで有効に機能していないように思える。

 

情報を多く得られることそのものでは自分の人生を好くすることは無理だと思う。

細かなところでは便利にはなったけど。

ただ人生という観点からみるとむしろ邪魔。

決めきれない量の選択肢を悪戯に増やしているだけ。

 

選択肢の中からどう選択するのか。

これこそが考えなければならないこと。

 

その選択基準とは何か。

僕は「確固たる価値観をもつこと」だと考えている。

 

僕は典型的な理系脳だから、絶対的・普遍的な正しさを追い求めてしまう。

でもそれじゃ無理だと思った。

 

正しいって何なの?

正しい人生って何ですか?

分からない。

分からないから決められない。

 

でも「僕が正しいと思う人生」なら決められる。

これは悪いと思うからやらない。

これはいいと思うので採用する。

一気に選択肢を絞ることが出来る。

 

でも僕が正しいと思うことってなんだろう。

正直、今は断片的でしかなくて。

よくわからない。

 

だから、僕は確固たる価値観を持ちたい。

 

人生やりたいこともない。

特に生きている意味を見出せない。

こういう感情は誰しも持っていると思う。

僕にかぎらず。

 

でももし人生を良く生きたいなら。

「自分の信じるもの」を持たなければならない。

 

とりあえずで、信じるものを持つために僕は生きている。

そのために、いろんな経験をしてみたい。

 

経験をする。

あるいは他人の経験を追体験してみる。

それで自分の中に新たな価値観が芽生えるかも。

そうすることで、一歩、踏み出せるはず。

 

とりあえず、これが今の僕の思うところ。

 

自分の人生をもっと理解したい。

そこから目を背けちゃいけない。